歓喜院

埼玉県川口市新郷
 048-285-4377
お問い合わせ

沿革 

 A585F77B-737B-438D-9DC3-891769E745FB.jpeg
貞和元年(1345年=南北朝時代)に飯田家の菩提寺として永乗法印が開く。頼朝の没後、家義の子孫が鶴岡八幡宮の荘園であった武蔵野国矢古宇郷新堀村に定住し、土地を開墾して世襲の土豪となった。豊臣秀吉の兵農分離政策によって、地侍的な存在となり徳川家康の所領となった天正19年(1591年)に飯田八衛門が新堀村の初代名主となって、完全に帰農した。その後は代々新堀村の名主を世襲し、飯田造酒蔵は明治22年に発足した新郷村の初代村長である。寺の本尊は青銅製の十一面観音様。室町時代(約600年前)の秀れた作といわれるが、明治13年ごろの火災のためかなりいたんでしまい、文化財指定はされていない。他の多くの十一面観音様と同じく秘仏である。

  昔新堀村には寺院が4つあった。新義真言宗智山派で、安行の密蔵院の末寺である歓喜院と正源寺、それに浄土宗の教存寺、羽黒派修験寺の善隣坊である。明治5年の寺院統合により、教存寺と善隣坊は廃寺となり、教存寺の本尊は、同じ浄土宗である全棟寺へ、善隣坊の本尊(大日如来)は歓喜院に移された。今も歓喜院に安置されている。

 歓喜院の本堂は明治8年(1875)に焼けてしまい、その後、長い間仮の堂屋が続いた。50年前、東京の稲村にある普門院という寺院が木造の本堂を鉄筋コンクリート建てに改造するという話を聴き、お檀家さんの代表が普門院を見に行った。

壊される事になっていた木像本堂の欄間にある彫刻が気に入りその本堂を買い取る事にした。解体して歓喜院へ運び、再建したのが今の本堂である。

2020.06.01 Monday